読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

エベリオ・ロセーロ「無慈悲な昼食」

無慈悲な昼食

  ああなんともはや心がけの悪い小説である。聖職者であろうとも人間。聖人君子とまではいかないのです。宗教という特異な世界を大上段に構える場では、第一に神があり、われわれ人間はその子であり、各々の宗教によって戒律やしきたりは違えど、信じるものは神であり、神は白であり、正義であり、真なのであります。よって、そのしもべである聖職者も第一義に神に一番近く真に白く正義でまっすぐでなくてはならない………はず。しかし人間、されど人間。われわれは基本的に煩悩が服着て歩いているようなもので、美味しい物を食べたいし、楽しいことは好きだし、お金はいっぱい欲しいし、気持ちいいこともたくさんしたいのであります。

 上記のような感想を本書を読んで思った。舞台は南米コロンビアの首都ボゴタのとある教会。ここでは毎日無料の昼食を曜日ごとに月曜日は娼婦、火曜日は不良、水曜日は盲人、木曜日は老人、金曜日は母子たちにふるまっていた。一見、めぐまれない人に施しをする清く正しい教会のように思うが内情はさにあらず。聖職につく人々もやはり人間の欲望にとらわれた人なんだということが開巻早々わかってしまう。

 昼食会も混乱を極め、丁度木曜の老人の日から話が始まるのだが、その老人たちも昼食にありつくために死んだ真似をしたり、ほんとうに死んでいたり、ここぞとばかりにたらふく詰め込んだりと無節操の極み。どうしてラテンアメリカはいつもこうなっちゃうの!
  
 酔えど歌えど服脱げど。解き放たれる本能と煩悩。主人公は悩める湾曲背骨。したたかで全てお見通しの三人の老婆(そう言えばペルセウスが出てくるギリシャ神話に三人の魔女がいたね)。身体の疼きが頂点に達している少女。聖歌を美声で歌いこなすへべれけ神父。乱痴気騒ぎの裏には、コロンビア内戦の悲劇もチラホラ見え隠れし、狂乱の一夜は三幕の劇が終わるように黒く幕がおりる。

 冒頭に書いたが、神につかえる者も人間。聖人君子ではない。みんな、口と股間から発せられる罪深き煩悩、欲望、怒り、蔑みをどうにかねじ伏せて、日々を過ごしていたのでした。