絵本ながら、ここには夢も希望もない。ここで描かれる一連の出来事の先に幸せがないことなど幼稚園児でもわかるのではないだろうか。倫理観というものは自分と他者が交流して初めて生まれるものだ。人はそうして倫理や道徳を学んでゆく。しかし、生い立ちや境遇がその人の価値観に多分に作用し、各々の物差しが培われる。万人がそれぞれ違った見識をもつ所以だ。
一方、そうした自分の持つ指標が覆される場合もある。影響のある発言や曖昧な噂は、総和として反映され大きな波となる。その波の前では個人の力など無力だ。
本書ではその恐怖が描かれる。絵本の常として、物語は寓話として描かれる。金のたてがみのライオン、銀のたてがみのライオン。象徴としての悪と善は独り歩きした大きな噂の渦の中でそれぞれの運命に導かれる。
総意として、真の悪人は金のたてがみのライオン。しかし、タイトルにもある二番目の悪者は誰なのか?噂をめぐる真相はいつも曖昧だ。正しい場合もあり間違っている場合もある。火のないところに煙はたたないなどという諺を持ち出して自分を納得させ、同調圧力に屈する人も多い。
本書が言わんとしているのは、そういう大きな流れに一緒に流されず自分の足で立ち、自分の目で確かめる勇気を持って生きていかなければならないということなのだ。物語の半ばで空にうかぶ雲がつぶやく。
『嘘は、向こうから巧妙にやってくるが、真実は、自らさがし求めなければ見つけられない』
正鵠を得たその言葉は、誰のもとにも届かない。帯にもある「考えない、行動しない、という罪」は、ついつい流されて犯してしまう罪だ。これが全て作り話だと言い切れるだろうか。不穏な問いかけを見返しに刻み本書は屹立する。
最初の鳥を殺そうとする人とチェロを弾く人。象徴的なニ枚並んだイラスト。それら悪と善を描いていると思われるその絵は一番最後のページで人のいない状態でまた描かれる。人はわれわれ。消えてなくならないように気をつけなければ。
