読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ルイス・フロイス「回想の織田信長-フロイス「日本史」より」

回想の織田信長 フロイス「日本史」より (中公文庫)

 資料としても一級品だろうし、なにより実際に織田信長に接した人物の生の声が聞けると思い読んでみた。確かに、この中には信長がいた。史実と変わらぬあの信長だった。唯一無二で決断がはやく、性急で激昂もよくするが、平素は穏やかで人情味と慈愛を示した。体躯は華奢なほうで、正義に厳格、名誉を重んじた。神仏を一切信じることなく、むしろ嫌悪し家臣の忠言には耳をかさず、みなから畏怖されていた。

 ぼくが漠然とイメージしているそのままの信長がいた。清潔好きで率直にものを言い。高貴、卑賤を問わず誰とも話し大胆不敵、心気広闊、忍耐強く善き理性と明晰な判断で物事を処理する英傑!

 うん、そうそう。信長ってそういう人なんだよな。あの有名な肖像画を見ているだけで、以上のことが自然と頭に浮かぶ。フロイスの目を通して描写される信長は、生き生きと動き話した。ここで重要なのが、フロイスが第三者で、それもまったく忖度なくおもったままをその通りに書いているところなのだ。フロイスの西洋から来た宣教師という立場は、信長の当時としては珍しいとても合理的でアカデミックな性質とうまく歯車が合い、信長を取り巻く日本人なら到底引き出せない様々な表情を見せてくれる。日本の神仏をまったく信じない信長の心の中には、己れの私利私欲を優先し私腹をこやすいかにも俗物な日本の仏僧たちへの嫌悪があり、それに比べ遥か遠くから危険を犯し、はるばる神の教えを広めるためだけにやってきたフロイスら宣教師の真摯な姿がとても好ましく映ったのだ。
 
 だから信長は、異国の馴染みのない人たちとも分け隔てなく接し、その清い精神を尊重し手厚く遇した。フロイスたちは、その好遇をデウスのお導きだとして、神に感謝するのである。

 本書は、フロイスの編述した「日本史」から、織田信長に関する部分を抜粋したもので、最後はやはり本能寺とその後で締め括られる。歴史的事件の当事者としての見聞を臨場感たっぷりに描くこのラストは圧巻で、その場にいた人しかわからない独特の空気感が味わえる。  

 しかし、それにしても残念なのはこのおそろしく読み難い本書の文章である。こういった歴史的資料としての価値あるものを訳すにあたって原文に忠実であれという常識はわかるのだが、それにしてもこの悪文にはイライラした。その不快を乗り越えてまで読む価値のある本なんだけどね。