家族であることの幸せは、お互いを愛す喜びでもあると思う。しかし、それは時に世代の流れにのまれて息ができなくなる窮屈さをともなうこともある。良かれと思って、守ろうとして、可愛いがゆえに、愛するがゆえに逆にその対象を傷つけてしまう矛盾が生まれてしまう。
主人公である梨枝は、ドラッグストアの店長をしている28歳。実家で母と同居しながら日々を卒なく暮らしていこうとしている。実際、今の境遇に何も不満はない。しかしどこかで、暗い穴の底にいる自分に気づくことがある。それは実態をもたない感覚だ。満たされて順風満帆のはずなのに、虚しく何もかも放り出してしまいそうな衝動を抱えて生きている。そんな彼女が自分を見出し、悩み、倒れて起き上がる姿が描かれる。
これといってドラマティックでもないし、共感しまくるわけでもないのに読まされる。ここに登場する人たちはみんなそれぞれの人生を背負った生身の人たちだ。それぞれが考えをもち、運命に振り回され、それでも必死で生きている。それが読み手にも伝わるから、目が離せない。描かれているみんなの生き様はそれが出来る人出来ない人、許す人許せない人、しっかり見る人見ない人、逃げる人立ち向かう人、みんなひっくるめて魅力的。いるいるそんな人って思う。それがこの人の小説を読む滋味なのかなと思った。
確執のある母と娘の物語でもあり、自己発見の物語でもあり、困難を乗り越える恋愛の物語でもある。辛いこともあり、ささやかな喜びもあり、悩みはすぐに解決するわけでもなく棚上げにしたまま人生に流されていく。親は子を思い、その幸せを願う。子は親の愛情を浴びそのありがたみを素通りして、新たな出会いの中で発見し成長してゆく。出会いは分岐でもある。その先にある道筋の選択が増えてゆく。右か左か真ん中か。そこでまた悩みつまづき起き上がる。正解も間違いもない。進む道にしっかり足をつけ、目を開けて前を見て歩めばいい。しかしそんな簡単なことが、そう簡単にいかないのが人生だ。
何事にも両端がある。それは摂理だ。しかし、その合間で人はもがく。梨枝は穴底から明るい光を見上げている。そこにたどり着くために。タイトルにもあるように、蜘蛛に始まり蜘蛛に終わる本書は薄いながらもそんないろんな人生が交錯する物語でもある。
読んでよかった。