本書が刊行された当時、島田荘司の書くミステリは常套を大きく逸脱していた。ま、ミステリ作家の誰もが過去の模倣をベースに独自のアレンジやケレン味を加えてオリジナルのミステリとしてそれぞれの個性を模索していたのだが、島田御大にいたってはスケール然り、物語の構造然り、すべてにおいていい意味で逸脱していた。
しかし、培ったミステリの土壌はおいそれと耕せないわけで、やはりどうしても郷愁にも似た模倣の甘い誘惑からは逃れられないのである。島田御大にいたっては、それがホームズ譚であったりする。
いや、誤解していただきたくないのだが、これはぼく個人のほんとうに近視眼的な解釈の上にだけ成り立つ意見であって、総意ではないからそこらへんはくみ取って読んでいただきたい。
確かに、このころ(90年代のはじめのころね)彼は続けざまに御手洗潔物を発表した。毎年秋ごろになると、ファンのぼくはもうそわそわして落ち着かなくなったものだ。まず皮切りが「暗闇坂の人喰いの木」(1990年10月)だった。分厚いハードカバーでものものしく刊行されたこの本は猟奇的なタイトルの割には、ミステリのトリック自体はあまりピンとこない作品でミステリ的には駄作もいいとこ。次に刊行されたのが「水晶のピラミッド」(1991年9月)次が「眩暈」(1992年9月)で、「アトポス」(1993年10月)ときて、ここで毎年の恒例行事は打ち止めになっちゃうのだが、これらの作品群はいってみればミステリとしては駄作だけど、結構おもしろい小説ではあったのだ。
「暗闇坂~」はそうでもなかったのだが、「水晶~」以降の三作にはすべて共通点があって、メインの事件の前にまったく別物の読み物が本編を食う勢いで描かれているのである。本書では古代エジプトのエピソードとタイタニックのエピソード、「眩暈」では「占星術殺人事件」に感化された精神異常者の手記、「アトポス」ではエリザベート・バートリに捕らえられた少女がその毒牙にかかる前に脱出できるかどうかという物語がかなりサスペンスフルに描かれる(このエピソードは、ほんとめちゃくちゃ面白くって、ぼくは頭の血管が切れるんじゃないかってくらい興奮して読みました)。
話長くて忘れちゃったかもしれないけど、これってホームズ長編でよく使われた手法だってことが言いたかったのだ。特に印象深いのが「恐怖の谷」ね。これがまったくそういう構成だったでしょ。「バスカヴィル家の犬」以外はだいたいこの二部構成でホームズ長編は構成されているんだよね。いわずとしれた島田氏は生粋のシャーロキアンであって、ホームズが出てくる作品も残しているし、どうもこういう構成に大いなる魅力を感じていたみたい。これって、そういう素地があるかどうかで大きく評価が分かれたりすると思うのだ。
本編にあまり関連しないエピソードを延々読まされて、なんだこれは?と感じる人と、それはそれで大いに楽しんで読んじゃう人ときっぱりね。ぼくはシャーロキアンでもないんだけど、ホームズ譚の正典はすべて読んでいて、こういう構成にも違和感なかったから、結構このシリーズ好きだったのだ。
で、本編の感想なのだが、もういい?疲れちゃった。長々と書いてしまってスタミナ切れちゃいました。もし、興味を持たれた方で未読の方はぜひ読んでみてください。島田先生ほんと、やってくれてます。
あ、そうそう後に書かれた「龍臥亭事件」では、あの津山三十人殺しがまるまる描かれるけど、これはぼく的にはあまり感心しなかった。この本ではじめてその事件ことを知ることになる人には面白いかもしれないけど、ぼくはもうお腹一杯だったのだ。だから、これはあまりオススメしません。