読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

チョン・セラン「フィフティ・ピープル」

 

フィフティ・ピープル (となりの国のものがたり1)

フィフティ・ピープル (となりの国のものがたり1)

 

 

 

 群像劇という体裁は目新しくはない。本書はある病院を中心に、それを取り巻く50人もの人々の人生の一瞬を切り取って数ページで描いたドラマの集積である。このパターンの作品は実をいうと小説という媒体ではあまり馴染みがなかった。伊坂幸太郎恩田陸なんかあったよね?奥田英朗の「最悪」は読んだけど。あ、「バトルロワイヤル」もそうか。でも、群像劇といってすぐ思いつくのは、映画だ。タランティーノ作品はほとんどそうだし、「マグノリア」なんて大好きだ。「ラブアクチュアリー」や「バベル」も良かった。日本ではタイトルもそのままの「グランドホテル」や「エイプリルフール」なんて楽しい映画あったよね。

 だから、小説でこういう構成の作品は初めてだったのだ。ま、いってみれば短編の集まりだよね。登場する人物は老若男女色とりどり。韓国の小説だけど外国の方も二人登場するしね。描かれる事柄は多岐にわたる。家庭や恋人、職場の人間関係や殺人もあるし、韓国が抱える大きな問題や時事ネタもあればL GBTや避妊問題なども描かれる。それぞれとても印象深い。で、これが群像劇の旨味でもあるのだがそれぞれの登場人物たちが、他の章にヒョイと顔を出す。この人とこの人が繋がっていたのか、この人の娘は、こういう人だったのか、あ、この人こんなことしてたのか!てな具合である。だから、描かれる世界に奥行きがうまれる。あっちとこっちが繋がり、自然と頭の中に空間ができて、そこで人々が動きだす。ある出来事を違う視点で描くことでよりいっそう印象づけられる。フルートだけの独奏にヴァイオリンやコントラバスが加わりアンサンブルとなって重厚さを増すみたいな。まして、50人もの人々が登場するのだからもはやオーケストラだよね。

 ラスト近くに登場するチョン・ダウンの章では読んでいて涙が止まらなかった。どれだけ心細かっただろう?どれだけ不安だったろう?ダウンの心の悲鳴で胸が押しつぶされそうになった。忘れられないこと、忘れてはいけないこと、忘れなければいけないこと、人生には様々な出来事があるけど、前に進むことだけはやめてはいけない。ダウン、きっと君の人生にも幸せなときはやってくるんだよ。