読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

コンスタン「アドルフ」

 

アドルフ (岩波文庫)

 まず、訳が悪い。こんな回りくどい言い回しする?かまいたちの漫才じゃないんだから、理解に苦しむ言い回しは、やめていただきたい!よくよく調べてみれば、光文社古典文庫でも出てるじゃないの!そっちで読めばよかった。

 しかし、ここに登場するアドルフは、最悪最低の男だね。なかば、試み的に一人の女性に近づき(しかも、十も歳上で囲われ者)、その心をとらえ相思相愛になり、女性は、全てを捨ててアドルフのものになる。だが、女性が全身全霊で自分を愛しているとわかった途端それがすべて重荷になってしまうのである。いやあ、そうはならないでしょ?好きになった女性が応えてくれたら、ハッピーでラッキーでしょ。

 格式ある家の出で、身分の差もあるこの恋の道行きは、最初から暗礁に乗り上げてしまい、アドルフは如何に女性と手を切るかと苦悩する。でも、生身ある相手ゆえ、さまざまな駆け引きの中に躊躇、いがみ合い、思いやり、重圧、慰めあいなどが飛び交い物事は、曲がりくねった道を進む。
相手を思う気持ちと、自分の満足は比例しない。自分を殺して無心に相手を思うことが正しいのか、それとも自分を残して、余力で相手を思うのが正しいのか、これは永遠に答えのでない問いかけなのだが(だって、ぼくはキリスト教徒ではないし、博愛主義でもないから)男として、一度心に決めた相手なら、愛して守ってあげるのが当然でしょ?

 しかし、アドルフはモゾモゾしちゃうのである。自分の態度を推し量って相手におしつける。何かのせいにして、答えを先のばしにしてごまかす。自分を悲しみ相手を顧みず全てに目を向けない。なんにつけても、善意めかして逃げるのである。こんな女々しい男、ほんとサイテーだ。訳もサイテーだし、ほんと、薄い本でよかったー。

サド「恋の罪」

短篇集 恋の罪 (岩波文庫)

 

 サドのね、適正なほうの小説集なんですよ。あの「悪徳の栄え」とか「ソドム百二十日」とかの怪物級のじゃなくて、もっと普通の展開の小説というわけ。でもね、これが普通じゃないんだな。現代の基準からいえば(基準て、もっぱらぼくの感覚なんだけどね)かなりエグい展開なのだ、これが。

 ぼくは本書を読んで、歌舞伎や山東京伝の伝奇物「桜姫全伝曙草紙」なんかを思い出した。因果がめぐる、あのエグいエグい話だ。親が子を殺す、親と子が交わる。血が流れる。でも、グラン・ギニョルほどじゃないんだけどね。巻頭の「フロルヴィルとクールヴァル、または宿命」を読めば一目瞭然。まあ、よくこんな巡り巡って因果がまとわりつく話を書いたもんだと感心する。いまの時代では到底成立し得ない物語だ。こういうシチュエーションを日本で再現しようとすれば、やはり戦国時代くらいまで遡らなければいけないだろうね。

 サドの作品をちゃんと読むのは本書が初めてだ。印象としては、エンターテイメントとして、ドラマとしてなかなかおもしろい。舞台も本国フランスもあれば、スウェーデンやイタリアもあったりして楽しめるし、歴史的事実も盛り込まれていたりして楽しめる(サドが間違えている記述もあるみたいだけどね)。

 話自体は先に書いたとおりちょっと信じられない展開をみせるが、こちらとしては予測のつく展開で、まさかそういうことにならないよね?この予想があたったりしないよね?とおもいながら読み進め、結局そのとおりになって、あー、やっちゃった!やっぱそうなっちゃうかーと簡単なカタルシスを得られるというわけ。

 というわけで、サドの適正なほうの小説じっくり堪能いたしました。で、今度は違法の方を読んでみようかな?

櫛木理宇「虜囚の犬」

虜囚の犬【電子特典付き】 (角川書店単行本)

 

  少年が、ホテルで刺殺される。彼の身辺を調べると自宅の地下室に女性を監禁していたことが判明する。しかも、彼は複数の女性を監禁し、鎖で繋ぎ風呂にも入れず糞便まみれにしてすきなときに凌辱し先に死んだ女性をミンチにしてドッグフードに混ぜ与えていたらしいのである。

 前代未聞じゃね?どんだけヒドい事件なんだ!で、その事件の真相を探るのがかつて家裁調査官だったときに、その殺された少年を担当していた白石洛。彼はある出来事がきっかけで家裁調査官を辞し、今は家の家事全般を受け持って妹と暮らしているのだが、そんな彼のもとへ親友で刑事の和井田が事件の相談に来たところから物語ははじまるのである。

 オビに『どんでん返しのサスペンスミステリ』って書いてあるとおり途中からもう一つ話が交錯してくるのは常套として、それが本筋とどう関わっていくのかがまったくわからない。なのにそちらの話のウエイトがどんどん増えてくるから、読んでるこちらとしては、見落としや真相が気になって気が気じゃなくなってくる。これが最終章でどう決着つくのだろうとホントやきもきした。

 で、真相なのだがなるほどそうきましたか。個人的にはもっとカタルシスが欲しかったけどね。事件の悲惨さ、渦中の人物の本当の姿、白石のバックグラウンドと物語を追うには十分おもしろかった。手軽に読めるミステリとしてオススメです。

櫛木理宇「避雷針の夏」

 

 

避雷針の夏 (光文社文庫)

印象はよくない。閉鎖的環境、田舎特有の詮索クセ、旧弊な因習。本書を読めば、人と関わることの煩わしさがこれでもかという感じでわからせてくれる。しかし、それを楽しむほどにストーリーがおもしろくないから、始末が悪い。

 都会から、一念発起して再生を賭けやり直そうとこの地へやってきた男が主人公だ。しかし、家庭を顧みることをせず、田舎の風習にも無頓着な彼はどんどん転げ落ちていってしまう。しかし、それが例えば奥田英朗の「最悪」みたいなツボをついた展開になるならまだしも、大したエピソードがあるわけでもなく続いていくさまは、読んでいてまったくおもしろくない。

 おもしろくないにも関わらず、最後まで読み切ってしまった。この人は他にもいろんな作品を書いているので、本書のみの判断で見限ろうとは思わないが、いやぁ、本書はダメだった。暗黒小説?いやいや、そんな大層なもんじゃない。イヤミスでもない。うーん、これはハズレだったなぁ。

「キプリング短編集」

キプリング短篇集 (岩波文庫)

 やはり手軽にその作家の作風や傾向を知るには、短編集が一番なのであります。
 キプリングといえば、インドなんだけど、ディズニーの『ジャングル・ブック』は知っていても、なんだかわかったようなわからないような感じでしょ?でも、この短編集を読めばキプリングの初期の頃から晩年までの作品が抜粋されていてその変遷をうかがうことができるってわけ。収録作は以下のとおり。

 「領分を越えて」

 「モウロビー・ジュークスの不思議な旅」

 「めぇー、めぇー、黒い羊さん」

 「交通の妨害者」

 「橋を造る者たち」

 「ブラッシュウッド・ボーイ」

 「ミセス・バサースト」

 「メアリ・ポストゲイト」

 「損なわれた青春」

 以上9編。

  初期の頃の作品は、語り口からインドという舞台設定から、まるでマジックリアリズムのはしりかと思うほどある意味ファンタジックな雰囲気が横溢していた。そこには文明社会から隔離されたかのような土俗的あるいは風変わりな因習的風習が長々と横たわっており、いくらハイレベルな学歴や都会的な洗練をもってしても太刀打ちすることはできない。「領分を越えて」の目に焼き付く鮮烈な仕打ちも、「モウロビー・ジュークスの不思議な旅」に登場する『とある人々』が受けている仕打ちにも太刀打ちすることはできないのだ。その不思議で宿命めいた透徹された人生観は半ばの「ブラッシュウッド・ボーイ」で少し様相を変える。ここでは一人の男性の半生が描かれているのだが、ここには因習や風習はまったく登場せず、しかし運命もしくは宿命の巡りめぐって到達する奇跡が描かれる。ある意味、非常に壮大で映画的な作品だ。これ以降の作品はもちろん後期のものとなるのだが、ここでキプリングな少し難解さを押し出してくる。歳をとって老獪な部分が出てきちゃったのか?なんちゃって。

 まあでも、「ミセス・バサースト」以降の作品はテキストとしての韜晦文学めいた巧みを感じた。韜晦っていっても、行間を読むというか表現の裏の意味を探るというか、そこに秘められた何かを汲み取らせる意図が潜在しているという感じ?特に感心したのはラストの「損なわれた青春」。これは素晴らしい作品で、短い中にストーリーの起伏があり、反転する世界感があり、人間の深い部分での心の揺れがあり、最後まで目が離せない。

 というわけで、キプリングとってもおもしろかった。どこかもっと短編集出してくれないかな。
 

綿矢りさ「意識のリボン」

 

意識のリボン (集英社文庫)

 

 

 

 

 

 この短編集はいままでの彼女の作品とは少し趣が違う。ここに収められている八編の短編は小説の体ではあるが、全部が全部物語としての小説ではない。タイトルにもなっている『意識』を全面に押し出した小説といえばいいか。

 特に「岩盤浴にて」「こたつのUFO」「怒りの漂白剤」の三編は、作者等身大と思われる女性の内証的な語りで終始する。それぞれ、膝を叩いてしまうような、腑に落ちる箴言に満ちていて例えば

知らないふりを決め込めば、簡単にやり過ごせる他人の心の機微や傷つきに、立ち止まる勇気がなくなってから、もうずいぶん経つけど



臆病になっちゃいけないね。大切なものを守りながらも、いろんな景色が見たい。



理論武装を剥がしたら、相手をずるいと思って反射的にむかついている根っこが露呈した。




 なんて言葉がどんどん繰り出されてくる。いま書いているこの小説はそのまんまの私小説ではない。だから、ここに登場する彼女の言葉、考え、趣味嗜好がそのまま私を反映しているわけではないとのたまいながら、その語りはどんどんヒートアップしてゆく。

 でも中には猟奇的な犯行を繰り返す通り魔の恐怖におびえる主婦を描いた「声の無い誰か」や交通事故で生死をさまよう女性を描く表題作や、結婚というイベントを控えてそこに不穏な要素を取り込み対になっている「履歴の無い女」と「履歴の無い妹」、女性と別れた小説家の『おれ』が主人公の「ベッドの上の手紙」なんてのもある。

 ぼくが綿矢りさの作品が好きなのは、そこにきれいごとばかりじゃない荒々しい言動や、生々しい衝動が見え隠れするからなのだ。彼女は、すべてをさらけ出しているわけじゃないのに、すべてを隠そうともしていない。自然にそこにあるものをくみ取って、咀嚼して、自分の身にしている。

 だから、ぼくはその飾らない世界に安心する。しかし、気のおけない世界でもあるんだよね。

 

山田風太郎「忍法鞘飛脚」

忍法鞘飛脚 忍法帖 (角川文庫)

 まずは収録作をば。

 「忍法鞘飛脚」

 「つばくろ試合」

 「濡れ仏試合」

 「伊賀の散歩者」

 「天明の隠密」

 「春夢兵」

 「忍者枝垂七十郎」

 「忍者死籤」

 それぞれなかなか趣向を凝らしていて飽きさせないところはさすが山風。これらの作品を執筆したのが四十代後半から五十代にかけてだから、もう脂が乗りきってるよね。

 人間の根源的な死と性についてとことん追求しちゃうところが、あけっぴろげで凄絶なのにどことなくユーモラスなのはどうしてか?ま、なんでもやりすぎると滑稽さが滲みでてきちゃうんだろうね。欲望と誠実と狡猾と実直、それらが相反して回って人間のどす黒い真実の姿が浮かびあがってくる。

 いや、そんな分析はどうでもいいや。とにかく各短編常套を逸脱したりして、いってみれば古き良き遊園地のビックリハウスみたいな無謀なあしらわれ方されちゃったと思っていたら、最後には見事に収まるところに収まっちゃってホントびっくりみたいな。

中にはミステリ作家としての面目躍如たるトリッキーなどんでん返しの連続が快感な「天明の隠密」や、ストックトンの「女か、虎か」顔負けのリドル・ストーリーの王道をゆく「忍者枝垂七十郎」なんてのもあるし、「忍者死籤」なんかこのページ数でこの構成でいったいどう収拾つけるんだ?なんてハラハラものの作品もあったりして、いやあ、楽しい。

 有名人物も色とりどり。山風作品ではおなじみの面々から初登場の間宮林蔵までうれしい驚きの連続だ。角川文庫から刊行されていた忍法帖の短編集も『くノ一紅騎兵』と『忍法女郎屋戦争』のあと二冊。読みたい。でも読んじゃうと終わっちゃう。またまたジレンマだ。